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函館大火のあった日…

日常・雑記

なんと言うタイミングだろう?何時もは何も気にせず通り過ぎてるのに…。

慰霊堂が目に入り「確か函館大火って3月21日だったよな?」と写真を撮り、家に戻ってからすぐに調べてみました。

「やっぱり!」…今から82年前の今日、昭和9年3月21日は函館大火のあった日でした。

明治以来1000戸以上消失する火災が10回、100戸以上消失火災が18回もあった函館ですが、この昭和9年のものは市街地の三分の一を焼き尽くす大惨事となりました。

津軽海峡沿いの大森公園には大火後の昭和13年に殉難者を弔慰するための施設「慰霊堂」が建てられました。

現在は慰霊堂として使用しない時は、青少年ホールとして卓球やバトミントンなどの練習に利用されてるそうです。

函館大火災惨害記念塔のプレートには当時の火災の様子がこのように記されてます。

 

昭和9年(1934年)3月21日夕刻に住吉町より発生した火災は、史上稀にみる烈風に煽られ市街地は一夜にして焼土と化し、その罹災者は約10万2千人を数える大惨事となり、死者行方不明者は2千8百28人を数えるに至った。
折悪しく、市街地を縦断する新川(亀田川)に掛かる、此処「大森橋」は渦巻き吹き上げ迫る猛火に逃げ惑い追われる人々が、唯一の避難路として殺到する中、その橋も瞬く間に炎焼し身動きとれぬ人々は、寒波厳しい横殴りの風雪を伴って、荒れ狂う浜風で怒濤逆巻く川に投げ出され高潮に呑まれるなどの惨状を呈し、一夜明けたこの川辺一帯は、溺死凍死焼死者が折り重なっての、悲惨壮絶を極めた受難の地と化していた。


当時はどんな様子だったのだろう?いまは綺麗に整備された亀田川。

 

市内で見かけるこの消火栓「函館型三方式地上式消火栓」って言うのか…

外国の消火栓を参考に函館市が設計し1937年(昭和12年)から使用。
函館市は昭和9年の函館大火の反省から,翌昭和10年に防火用水道の整備を始めました。
大火までは消火栓が地下にある地下式消火栓を使用していたが,雪にうもれてしまううえ,使うのに専用の器具が必要なため,すばやく作業できるよう地上式消火栓の導入を決めました。
ただ,当時には防火水道整備事業の参考になる都市がなく担当者を米国に派遣する一方,消火栓のカタログや実物を欧州からとりよせ,形や大きさを検討して決めたようです。
函館型の特徴は消火栓の内径が150ミリメートルに125ミリメートルの放水口2ケ、65ミリメートルの放水口が1ケと取水能力が大きいため大量放水ができるということと,栓体色が黄色のため目立つということです。
函館市HPより)

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