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お兄さん、どちら様?…

街中散歩 パブリックアート

一日中どんよりと重い曇り空の一日でした。

午前中所用でお出かけ、知人との待ち合わせは函館市民会館の駐車場です。

約束の15分程前に着いたので前庭を一回りしてみることに。

以前何度も此処に来ていても、いつも駐車場から目的の建物内へ直行で、前庭にどんな物があるのか全く知りませんでした。

日時計と花時計、この時期花がなんにもありません…

こんなブロンズ像もあったんだ…

水が抜かれ止められた噴水池の真ん中にこんな像が建ってる…

近付いてみるとなかなかのイケメン…

「誰だったかな?」

考えてみても判らない…見覚えのない顔。

そうこうしているうちに友人が着いたようで声がかかり戻ることに。

「あの銅像、誰だか知ってる?」
「なんて言ったかな??確か北洋に関係ある人らしい?」

そんな一言で済んでしまうお兄さんなの?…
それとも知らない我々が悪いのか?…

今度また天気の良い日に来てみようと今日はこれまで。

家に帰り調べてみると平塚常次郎???

「エエッ!知らない!」(お恥ずかしい)

【こんな人だったんだ…】
明治14年、大町1丁目で父善治、母トヨの次男として生まれる。常次郎は函館四天王の1人平塚時蔵の甥にあたる。
常次郎はこの時蔵の家に生まれ育った。
明治20年、弥生小学校入学。前後して東京へ嫁いだ母の嫁先き、三倉屋という回送問屋に養子としてもらわれる。
不慮の事故により、実家へ返され間もなく、父が郵便局長として択捉の沙那へ赴任、同地の小学校を卒業する。
明治31年露清語学校(札幌)に入学、2年後学制改革で退学、翌明治34年入隊、明治38年除隊。入隊前後に露領漁場での買魚を体験する。
この間、アムール河畔の漁場で堤清六と出会い、日本を世界に押し出すという、より積極的な夢をもって生涯の協力者とした。
明治40年堤清六と提携し、新潟市東堀前通りに堤商会を開設、同年7月、日露漁業条約調印。
翌年ウスチ・カムチャツカの2漁場を落札し宝寿丸、喜多丸で出漁して缶詰に着目、その2年後には着手している。
堤清六の没後川上、窪田のあとを受け、昭和13年社長に就任する。
第2次世界大戦後は政界に進出、昭和21年第1次吉田内閣の運輸相となるが、1年足らずで公職を追放される。
昭和27年日魯社長に再就任し北洋漁業の再建に尽力した。
昭和49年4月4日、世界の漁業界に、雄飛せしめた平塚常次郎は92歳で没し、18日には市主催の追悼式も行われた。
その英姿は市民会館前庭の噴水の中に立つ。

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